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新日本海重工業は、ロータリーキルンをはじめとする産業機械や各種プラントを中心に、社会のニーズに応えた生産設備や環境関連設備を提供しています。

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日本海船渠工業の設立について

海王丸
海王丸

昭和13年(1938年)、第27代目富山県知事として大阪より矢野兼三氏が赴任され、佐藤助九郎氏(日本海船渠工業 二代目社長、佐藤工業社長・会長)に、東岩瀬一帯の大港湾と造船所の青写真計画を提示しました。
その年の秋、佐藤助九郎氏、山田昌作氏(北陸電力社長 日本海船渠工業 初代社長)、長崎の川南豊作氏(川南工業社長 砺波出身)の3人が会合を開いたのが日本海船渠工業設立のスタートでした。
その後、山田昌作氏、荒井健三氏(北陸銀行取締役)、井村荒喜氏(不二越社長)、佐伯宗義氏(衆議院議員)、佐藤助九郎氏の5名が中心となり、東岩瀬の造船所建設計画を決定しました。

昭和15年10月3日、当時日本海沿岸唯一の乾ドック(1万トンドック)を持つ造船所として、山田昌作氏ら地元実業界の発起によって「日本海船渠工業株式会社」(当初の資本金350万円・敷地面積3万坪)は設立され、山田氏を初代社長としてスタートしました。場所は富山運河の河口、富山港の南端にあり、日本海沿岸の中央部に位する好立地条件とともに将来を期待された地元産業のひとつでした。

戦後、資材の極端な窮迫などから政府は大型造船を政府の計画統制の下に置くこととし、昭和22年度からこれを実施、日本海船渠も終戦後苦しい経営を余儀なくされ、昭和26年7月30日の臨時株主総会において新重役陣容が決まり、佐賀造船株式会社(在新湊、資本金2,450万円)を吸収合併、 社名も日本海重工業株式会社と改称して昭和26年8月1日より新発足となりました。

新日本海重工業の発足

新日本海重工業の発足
新日本海重工業の発足

1978年(昭和53年)3月16日、日重技研株式会社が設立され、日本海重工業株式会社の陸上機械装置などの設計・製作・据付工事を担っておりました。1987年(昭和62年)3月に社名を新日本海重工業株式会社に変更、同年4月に資本金を1億円に増資しました。

1987年(昭和62年)年6月5日、日本海重工業は造船業界再編に伴い造船業から撤退。その際 新日本海重工業が、日本海重工業より陸上および船舶修繕工事に関する営業を全面的に譲受し営業開始、新日本海重工業株式会社の発足となりました。